生きるために自信をもつのは大切なこと

自信

朝起きてスマホを手に取ってベットの上でSNSに流れている無限に思える情報の波に飲まれながら無駄に時間を消費する。時間は僕たちにとって無限ではない。そう無限ではないのだ。限りのある時間を過ごしているわけだが、大半の人々は何も考えずただ時間の波に飲まれて生きている様に思える。
 僕は考えた、生きているなと実感したことはあったのかと。学校の学園祭や体育祭といった行事をみんなで頑張った日々、あれはとても充実していて生きているなと感じる事ができた時間だった。あの時期は目に光があったと表現するべきか。とにかく生きているという事を疑わなかったし、そうである自信に満ち溢れていた。
 最近、その実感も自信もない。ただそこにあるだけの存在、それが自分であるように感じるのだ。なぜだろう?どうして僕は天井をみて生きている意味を問い、体が心が芯からぐちゃっとねじられる様な思いをしながら今を過ごしているのだろう。何かが足りていない、そう思った。
何が足りないのかは明確だった。実感だ。生きているという。自分に自信が無いのだ。だから実感も湧かずむなしい。
 この自信を持つために、また、生きているという実感を得るためにはどうすればいいのだろうか。考えてみてわかったのは至ってシンプルな答えだった。

『日々の積み重ねを怠らない事』

なんてシンプルで難しい答え何だろうと思った。

結局、生きるというのは必死になって生きる努力をする、明日につなげるために足掻くという事だと思う。だから、日々積み重ねるのだ自分が必死に生きている証を。しかし、現代では昔ほど必死にならずとも命が保証され健康寿命は延びてきている。必死である必要を感じにくい時代になっているのだ。だから、積み重ねを怠り、生きるという事にエネルギーが必要である事を忘れる。

今一度生きるために必死になってみる事を思い出すべきなのではないか。自分に今日も頑張って生きれたという自信を持つ為に毎日足跡を残していくべきじゃないのか。そう思う。

きっと、日々努力して積み重ねたものが自分の自信になり、生きた証になり足跡になる。時間の波に飲まれただ消費するだけの動いている物から、ヒトへと変えてくれるのだろうと思う。

今からでも遅いという事は決してない。問題なのはこの先の未来生きている自分がどうありたいかだと強く思う。

今日も1日頑張っているあなたは偉い。そしてきっと、それが未来のあなたの自信と生きた証になる。今日頑張れなかった人はゆっくりと小さなことでいいから明日の貴方のために何かを積んでいこう。僕も自分と大切な人のために1日1日積み重ねていけるように頑張ろうと思う。

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